4月2日福岡で、サティシュ・クマールと対談します。

【現代世界を代表する思想家 サティシュ・クマール】
1936年、インド北部の村でサティシュ・クマールは生まれた。父を4歳で亡くしたサティシュは、死というものがもたらす悲しみを超える道を模索し始めた。そして、9歳にして出家、ジャイナ教の教えを実践した。しかし、1954年、ガンジーの非暴力思想に魂を揺さぶられ、自ら僧衣を脱ぎ、還俗する。それは、18歳のことだった。1961年、ノーベル文学賞受賞者のバートランド・ラッセルが、核廃絶を求める座り込みに参加して 逮捕されるというニュースが世界を駆け巡る。「90歳の老人が、世界平和のために闘って投獄されているときに、若者の自分は一体何をやっているのか?」と考え、立ちあがる決心をする。

ガンジーの非暴力思想を受け継ぎ、環境と平和の融合、いのちを大切にする世界を広げるために76歳になった今も「歩き続ける」サティシュ・クマールが、九州初上陸。

脱原発を願う「100人の母たち」と共に4月2日、サティシュと対談します
通訳は、文化人類学者で「スローライフ」の提唱者でもある辻信一さんです。

【サティシュ・クマールのプロフィール】
1936年、サティシュ・クマールはインド北部のラジャスタン地方の村でジャイナ教信徒の両親のもとに生まれた。父は、サティシュが4歳のとき、家族 を遺して亡くなった。幼少期のサティシュは、母と多くの時間を過ごしながら、インドの古典や自然の摂理、道徳を口承で学んだ。同時に、母から瞑想や手を使ってものを作ることの歓びを学んだ。

父の死を契機に、死というものがもたらす悲しみを超える道を模索し始めたサティシュは、9歳にして出家、トゥルシー導師の元でジャイナ教の教えを実践した。しかし、1954年、ガンジーの非暴力思想に魂を揺さぶられ、自ら僧衣を脱ぎ、還俗する。18歳のときのことだった。

その後、ガンジー主義者のヴィノーバとともに土地改革運動に携わりながら、現実世界での個人的精神性と社会的精神性の統合に想いを巡らせた。また、ヴィノーバから『バガヴァッド・ギーター』で説かれている自然と社会と利己の相関性・全体性について学ぶ。そこでの気づきは、後にサティシュの思想の根幹を成す「ソイル(土)・ソウル(心)・ソサエティ(社会)」論へと発展する。

1961年、ノーベル文学賞受賞者のバートランド・ラッセルが、核廃絶を求める座り込みに参加して 逮捕されるというニュースが世界を駆け巡る。「90歳の老人が、世界平和のために闘って投獄されているときに、若者の自分は一体何をやっているのか?」と考え、立ちあがる決心をする。

サティシュは友人とともに、当時4つだった核保有国(ロシア、フランス、イギリス、アメリカ)の首 都へ平和のメッセージを届ける平和巡礼に旅だった。インドからワシントンDCまで1万4000キロの道を、一銭も持たず、徒歩で山や砂漠を越え、嵐や吹雪に見舞われながら、ときには投獄されたり、銃での脅しを受けたりしながらも、2年半かけて踏破した。

この平和のための巡礼の途上、サティシュはバートランド・ラッセルやマーチン・ルーサー・キング牧師をはじめとする数々の思想家や活動家との出会いを果たした。さらに1968年、後に『スモール・イズ・ビューティフル』を発表し、人類を破滅に導きつつある経済システムに警鐘を鳴らした経済学者、E.F.シューマッハと出会い、意気投合する。

シューマッハの依頼を受け、1973年、サティシュは『リサージェンス』誌の編集主幹となる。以 来、現在に至るまで、『リサージェンス』は、西洋と東洋の思想を融合するエコロジー思想の知的拠点として、また環境と平和、科学とスピリチュアリティ―を めぐる世界的な議論の場であり続けている。

また、サティシュは「土と心と社会」という哲学思想にもとづく教育運動を主導してきた。1982 年、自宅のあるイギリス南西部ハートランドに10代を対象とする「スモール・スクール」を創設、自然から学び、スピリチュアリティを重んじ、衣食住における自らの実践を通して生き方を会得するという、その先駆的なカリキュラムが注目を集めた。

1991年には、「スモール・スクールのような大人の学び場を」という要望に応え、エコロジカルで スピリチュアルな学びを総合的に習得できる場として、宿泊施設も兼ね備えた「シューマッハ・カレッジ」を開校。以来、世界中から集まる人々が、ホリス ティックな世界観を学び、自己と社会の経済中心から自然中心への転換を模索する場となっている。現在は「ホリスティック科学」の大学院も設置されている。

サティシュの名言録 ポスト311のメルクマール サティシュ・クマール

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