原子力ムラ発 規制委人事 健康被害 楽観派ずらり

原子力ムラ発 規制委人事の系譜 「放射能安全」集落 
(2012年8月10日 東京新聞)

 永田町は政局たけなわだが、争う民主、自民両党とも、国会同意の必要な原子力規制委員会の人事案には、もろ手を挙げて賛成だ。「こちら特報部」は委員候補者5人のうち、原子力関係の3人が「原子力ムラ」の住人と指摘したが、さらに調べると、福島県を舞台に展開している「放射線被害楽観」論者たちと深く結び付くことが分かった。言い換えれば、旧科学技術庁人脈が色濃い集団だ。 (出田阿生・佐藤圭記者)

東京新聞:規制委人事 「放射能安全集落」

健康被害 楽観派ずらり

100ミリシーベルトというのは健康に大きな影響がないということだと、いわゆる健康影響との関係でこのあたりをどう今後住民にご理解いただくかということ、折り合いをつけていただくかということが大変大事になってくると思います」

日本原子力学会会長も務めた委員長候補の田中俊一氏は昨年8月23日、原子力委員会の定例会議でこう発言した。田中氏は「政府に批判的」との評もあるが、政府の原子力損害賠償紛争審査会では、自主避難者への賠償に異論を唱えた。

「100ミリシーベルト」発言は田中氏のオリジナルではない。この分野での“権威”は、長崎大名誉教授の長滝重信氏。同氏は「被曝による100ミリシーベルト以下の発癌リスクは科学的に証明されていない。喫煙や飲酒など他の発癌リスクに隠れてしまうくらい小さい」と唱える勢力の中心人物だ。

現在、福島県立医大副学長の山下俊一氏は長崎大医学部で、医師としてその長滝氏の薫陶を受けた。山下氏は福島県内で「ニコニコ笑っている人には放射線の影響は来ない」などと講演し、物議を醸した。その山下氏が同県の放射線健康リスク管理アドバイザー、田中氏は除染アドバイザーと重要な位置にいる。

長滝氏や山下氏らはチェルノブイリ原発事故の後、91年からの国際原子力機関(IAEA)の現地調査にも参加。この調査団を率いたのが財団法人・放射線影響研究所(放影研)の初代理事長だった故重松逸造氏だったが、重松氏は「(現地では)放射能の害は成人には見られず、むしろ放射線ストレスの方が深刻だった」と総括した。

重松氏は長滝氏や山下氏と続く「放射線による健康被害の楽観論者」の“源流”ともいえる。だが、なぜこうした人脈が発言力を持ったのか。重松氏がトップだった(放影研)の前身は原爆の殺傷能力を調べるため、米国が設立したABCC(原爆傷害調査委員会)だ。

75年からは日米合同機関の放影研に衣替えしたが「設立経緯から投下直後の初期放射線の影響の研究が中心で、内部や低線量の被曝はほとんど扱わず、放射線の人体への影響を総合的に研究しているとはいえない」(核実験被害に詳しい竹峰誠一郎・三重大地域戦略センター研究員)といった批判を受けている。

ちなみに長滝氏は、重松氏の後任として放影研理事長に就任。今回の委員候補の中村佳代子氏は日本アイソトープ協会主査だが、長滝氏は同協会の常務理事も務めた。協会自体は「医療や研究に用いる放射性同位元素などの提供や処理をする団体だが、トップや役員は政治的な人事になる」(協会関係者)という。

◆かつての権威 復活狙う?

田中氏が所属するNPO法人・放射線安全フォーラムの役員、顧問には日本アイソトープ協会と並んで、独立行政法人・放射線医学総合研究所(放医研)の理事らも名を連ねる。放医研は核実験でマグロ漁船乗組員らが被曝した「ビキニ事件」を契機に旧科学技術庁の所管で設立された。

しかし、第五福竜丸の元乗組員大石又七氏(78)は、93年から放医研で年一回の定期健診を受けるのをやめた。被曝後に大量輸血してC型肝炎ウイルスに感染していたのに、放医研は大石氏本人に情報提供せず、別の病院で肝臓癌が見つかるなどしたためだった。

これではモルモット扱いだ。大石氏は不信感を募らせ、乗組員仲間も「放医研ではすべて分かっていながら手当もされず死んでいったのでは」と著書に記した。
ビキニ事件は米政府の責任をうやむやにしたまま、政治決着する。その状況は放影研と重なる。関係者は「放医研は国の直轄機関。米国の核戦略への配慮から自由ではなかったのだろう」と語る。

放医研の現理事長は放影研の元専門評議員。放影研を核に日本アイソトープ協会、放医研がつながり、田中氏と結び付く構図が浮かび上がる。

福島の健康調査にこのサークルが深く関与する一方、除染を指導しているのが、田中氏の出身母体であり、特別顧問を務めた日本原子力研究開発機構(原子力機構)だ。もう一人の委員候補である更田豊志氏は機構の副部門長だ。

ここで「放射線被害楽観」論とともに、人事案の背後に見え隠れするのが旧科学技術庁人脈である。

原子力機構は文部科学省所管の独立行政法人で、高速増殖原型炉「もんじゅ」の開発や放射性廃棄物処分など原子力の研究・技術開発を担っている。前身は旧科学技術庁が所管していた日本原子力研究所(原研)と動力炉・核燃料開発事業団(動燃)。この二つの特殊法人と、放医研などの研究機関が、旧科学技術庁グループを形成していた。

旧科学技術庁は2001年の中央省庁再編で旧文部省に吸収合併されるまでは、電力産業を所管する旧通産省(現・経済産業省)とともに日本の原子力行政を担ってきた。

だが、国産原発の開発を掲げた1956年の発足当初こそ、原発推進の政策決定権を握っていたが、60年代半ば以降、電力業界が原発事業を主導し始めると、旧通産省に許認可権限などを次々と奪われていく。

核燃料サイクルなど旧科学技術庁系の国家プロジェクトが不振を続ける中、旧科学技術庁本体も原子力ムラの中で脇役に甘んじていった。ついには95年のもんじゅナトリウム漏れ事故や、97年の東海村使用済み核燃料再処理工場での火災爆発事故などで国民からの信頼を失墜。省庁再編を機に解体されてしまった。

それでも旧科学技術庁はほそぼそと霞が関で根を張り続けてきた。文科省科学技術・学術政策局、研究振興局、研究開発局は旧科学技術庁出身者が仕切ってきた。規制委に統廃合される原子力安全委員会の事務局長は旧科学技術庁出身者が押さえている。

経産省が福島原発事故で矢面に立つ中、元祖・原発推進派の旧科学技術庁としては規制委に人脈を送り込むことで、影響力を確保したいといった思惑も、霞が関では囁かれている。

内部被曝に詳しい琉球大の矢ケ崎克馬名誉教授は、日本の原子力行政について「(原子力基本法にうたわれた)民主・自主・公開の原子力三原則を自ら踏みにじってきた」と断じた上で、原子力ムラの中心にいる「放射線被害楽観」論者らが規制委を牛耳ることに危機感を露わにする。

「田中氏らは原発を推進する側に身を置き、政府の言い分を押し付けようとしてくる。こうした人たちが放射能の影響を科学的、客観的に判断できるとは思えない」

※デスクメモ 東電の事故直後のビデオについては、証拠隠しの疑いがある。なぜ、国会は国政調査権を使い、保全しないのか。国会事故調が国会に託した「宿題」も放置されたままだ。それなのに、与党も最大野党も解散をめぐり、気はそぞろ。選挙になれば、原発事故など忘れ去られると読んでいるなら大間違いだ。(牧デスク)

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